地域の女の子の
希望の光に
ケニアのナンシーさん
「女の子は、学校に行かずに、早く結婚しなさい」そんな地域で育ったけれど、国で一番の大学・ナイロビ大学で修士号を取り、開発援助の仕事で世界中の子どもを救っているナンシーさん。今や、地域の女の子のロールモデルです。
詳しく見る(2020.11.27)
1994年はルワンダにとって、まさに「悪夢」の年。
ツチ族とフツ族の対立が激化し、3か月で100万人もの人が大量殺りくの犠牲になったのです。当時4歳だったマーリンさんは、殺りくに巻き込まれて、両親を亡くしてしまいました。
「あの日何があったかは、わからない。覚えているのは、途方もないほど悲しくてつらかった、という気持ちだけ。」
事件のトラウマと家族を失った痛みを負いながら、一人残されたマーリンさん。そんな彼女を救ったのは、彼女のチャイルド・スポンサーでした。
ワールド・ビジョンの支援を受けたマーリンさんは、今は教師として働いています。
子どもたちに囲まれた彼女の笑顔は、悲しい過去を感じさせない明るさに満ちています。
すべての子どもたちに未来を失わせない。そのワールド・ビジョンの理念を感じさせる、マーリンさんのストーリーをご覧ください。
襲撃の翌日、マーリンさんは、気づいたら一人ぼっちでした。
優しい誰かが、彼女を渦中から救い出してくれたおかげで、命は助かりましたが、孤児になってしまったのです。
そんな孤独なマーリンさんは、9歳のころから、ワールド・ビジョンの支援を受け始めます
ー 大丈夫。一人じゃないよ ー
彼女のチャイルド・スポンサーは、一人ぼっちの少女が未来を取り戻せるよう、夫婦は温かい言葉が詰まった手紙とともに、彼女が教育を受け続けられるように励まし続けました。
「誰かが私のチャイルド・スポンサーになってくれると聞いた時、私は確信したの。神様が私の祈りを聞いてくださったんだって」
そばに励ましてくれる人がいなかった女の子にとって、チャイルド・スポンサーの存在ががどれだけ救いになったことでしょう。
紛争で未来が見えなくなったと思われたマーリンさんは、学校を卒業し、教師になることができました。
大人になったマーリンさんには、9歳のホノリンちゃんという、もう一人の家族ができました。
実は、二人には「孤児」という共通点があるんです。
「見た瞬間に、彼女が抱えている悲しみや困難が、手に取るように理解できたのです」
誰かに寄り添ってもらう喜びを知っていたからこそ、マーリンさんはホノリンちゃんを養子に迎える決意をしました。
チャイルド・スポンサーの「想い」が一人の子どもを笑顔にし、その周囲にも希望が拡がりました。
「助けたい」という想いには、確かに子どもたちの未来を変える力があります。
あなたもチャイルド・スポンサーになってみませんか。
チャイルド・スポンサーシップにご協力ください。
貧困、紛争、災害。世界の問題に苦しむ子どもとともに歩み、
子どもたちの未来を取り戻す活動に、
あなたも参加しませんか。
今あなたにできること、
一日あたり150円で子どもたちに希望を。
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