2012.03.08
ワールド・ビジョン・ジャパンは、主に新潟県柏崎市を通じて、柏崎市内で避難生活を送っている福島県被災者の方々への支援を実施しています。ワールド・ビジョン・ジャパンと柏崎市のつながりは、2007年、新潟県中越沖地震が発生した際に復興支援のご協力をさせていただいたことがきっかけとなって生まれた関係です。
柏崎市の(特非)地域活動サポートセンター柏崎を支援し、福島県からの避難者668名のうち、506世帯を定期的に訪問し、見守り活動を行なっています。
さらに、事務所内のスペースで同郷の避難者同士や、地域の方々と交流できるサロンを月3~4回開催し、これまでにのべ200人が参加。避難者の方々の引きこもり防止と、交流促進に役立てられています。
また今後、柏崎市が中越地震/中越沖地震を通じて得た見守り活動のノウハウを、東日本大震災で被災した岩手県宮古市社会福祉協議会に伝え、仮設住宅での生活を送っている方々により良い見守り支援を実施できるよう、後押しする予定です。
福島第一原発の影響により、福島県二本松市と柏崎市で避難生活を送っている浪江町の子どもたちのために、10月、柏崎市を支援して「浪江町児童・生徒交流ツアー」を開催。約100名の子どもたちが参加し、友だちとの再会や、久々の外遊びを思い切り楽しみました。
また、11月には柏崎市内で暮らす福島県外避難者の方々のために、「ふるさと交流会」を開催。約400人が参加し、久々の交流を楽しみました。「ふるさと交流会」は、今月、第2回目の開催が予定されています。
福島県内の教会を通じて、福島市、伊達市、いわき市で被災された方々約500名に、布団や水などの緊急支援物資を届けました。また、相馬郡新地町内の仮設住宅入居者約500世帯に、「仮設のトリセツ」冊子版を届けました。
ワールド・ビジョン・ジャパンはこれまで行っている東日本緊急復興支援の活動内容や規模を、今後、段階的に縮小しながら、震災発生から3年となる2014年まで活動を継続します。支援の成果が地域に根付き、持続していくことを目指して、地元NPOの育成支援に力を入れていきます。
今後とも、活動を温かく見守っていただきたく、よろしくお願いいたします。
宮城県気仙沼市の小・中学校に、太陽光発電システム、井戸、防災倉庫を支援
気仙沼市にある指定避難所・避難場所の多くが、小・中・高校です。東日本大震災発生後、これらの避難所・避難場所の多くで、電気や水道などのライフラインが寸断され、被災した子どもたちや、人々の生活に大きな打撃を与えました。
ワールド・ビジョン・ジャパンは、ソーラーフロンティア株式会社と協働で、指定避難所・避難場所となっている気仙沼市内の小・中学校10校に、太陽光発電システムを支援。合わせて、太陽光発電によって揚水が可能な井戸と、防災倉庫も支援しています。災害発生時には、最低限必要な電気と水を供給することができ、将来発生する災害から、子どもたちの命を守る機能の強化につながります。
さらに、ソーラーパネルなどを日々管理していくことで、子どもたちが自然の恩恵を学び、防災意識を高める機会となることを目指しています。
指定避難所への物資支援
また、宮城県登米市で47カ所、岩手県宮古市で31カ所の指定避難所への毛布、非常用トイレ、ガソリンなどの物資支援や、気仙沼市での防災行政無線個別受信機の配布なども、予定しています。
新潟の知恵を東北へ
新潟大学の岩佐研究室と共同で、中越地震・中越沖地震によって、仮設住宅での生活を送られた方々からの知恵がつまった「仮設のトリセツ」冊子版を制作。宮城県と岩手県を中心に、仮設住宅に入居されている方々約20,000世帯に配布しました。
「夏の暑さの攻略法」、「結露対策」といった具体的な方法から、入居者同士の交流を深める方法など、仮設住宅での生活に役立つ工夫を分かりやすく紹介しています。
交流のきっかけとなるように
岩手県宮古市の仮設住宅に、ベンチとテーブル90セットを支援。入居者の方々が、お互いを知るきっかけを作るためです。
入居者の方々からは、「今までは芝生や、段差に座って話していましたが、高齢者には負担が大きいのでとても助かります」、「大切に使っています」など、感謝の声をいただきました。
また、宮古市内の小規模仮設団地や南三陸町で、仮設住宅入居者や、その周辺地域の方々が交流を深めるための、イベントの開催を支援しています。
地元の子どもたちによる雪かきプロジェクト
岩手県宮古市の社会福祉協議会に支援した除雪道具を使って、地元の中・高校生たちが、仮設住宅での雪かきに取り組んでいます。
入居者には高齢者の方々が多いため、子どもたちとの交流も生まれ、喜ばれています。
子どもたちが健やかに成長するためには、保護者が安定した収入を得ることが不可欠です。ワールド・ビジョン・ジャパンでは復興期以降、宮城県南三陸町、気仙沼市において、地域の地盤産業である水産加工業の復旧を支援してきました。
ワカメ養殖再開を支援
震災によって壊滅的な被害を受けた南三陸町では、津波によって1,000隻あった船のうち95%が流失してしまいました。
また、ワールド・ビジョン・ジャパンがインタビューを行なった漁業従事者の方々のうち、およそ80%が船や、加工のための機材なども失っていました。
そこでワールド・ビジョン・ジャパンでは、南三陸町にある宮城県漁協協働組合志津川支所に、ワカメ養殖のために必要な和船12隻と機材を支援。和船は、ワカメ養殖を行う漁師の方々が共同で使用します。
ワカメは、南三陸町の主要な水産物の一つであり、ワカメ養殖漁業者の方々が、震災後初めてまとまった収入を得られる大切な漁獲物です。
ワカメの種付けが始まるより先に支援したことによって、適切な時期に収穫を行うことが可能となり、2012年1月より、ついに収穫が始まっています。
ワールド・ビジョンの支援は、心の支え
同漁協志津川支所の星さんは、
「震災発生直後は、失ったものが大きすぎて、(組合員の皆さんは)何も手につかない状況でした。しかし、5月頃には漁場の復活に取り組むことを決心し、元の海よりも大きく、美味しい漁場作りをしようと、頑張ってきました。その中で、ワールド・ビジョンの支援は、ワカメ養殖者の方々にとって、心の支えになったと思います。
この支援がなければ、漁場作りをすることも、皆さんの精神状態を保つことも難しかったのではないかと思います」
と、語ってくださいました。
気仙沼漁協・超低温冷蔵庫再開を支援
宮城県気仙沼市漁港は、東北第1位の水揚げ量を誇り、「世界三大漁場」と呼ばれる三陸沖の漁港の中でも、重要な地位を占めていました。しかし、東日本大震災により、市内の水産加工業の95%が被災。
水揚げ量の減少、水産加工業に従事する人口の減少など、震災前から多くの課題を抱えていた気仙沼市の水産加工業の衰退に歯止めをかけ、1日も早い復興に向けて大きな要となっていたのが、水揚げされた解散物を冷凍・保管する超低温冷蔵庫の復旧でした。
「日本有数の水揚げ量があるサンマの場合、水揚げされた後、生のまま出荷されるのは3割です。残りの7割は、超低温冷蔵庫で冷凍保存され、水揚げのシーズンが終わった後に販売されます。
それによって、年間を通じて地域の経済を動かすことができていたのです。
そのため、超低温冷蔵庫の早期復旧は、壊滅的な被害を受けた気仙沼市の水産加工業が復旧するために、必要不可欠でした」
と、ワールド・ビジョン・ジャパン東日本大震災緊急復興支援部雇用促進・生計向上チームリーダーの、望月スタッフは語ります。
超低温冷蔵庫の復旧は"のろし"になります
気仙沼市全体で、16万5,000トンの許容量があった冷蔵庫は、震災によって2,000トンまでに減少。特に、自社の冷蔵庫を持たない地元の水産加工会社は、気仙沼漁協が所有する超低温冷蔵庫の早期復旧を切望していました。
およそ5億8,000万円かかる修復費用のうち、3分の2は、政府による補正予算によって補填されることになりました。しかし、気仙沼漁協は他の施設等の整備も控えていたため、自己負担分の資金計画を模索していました。
そこで、ワールド・ビジョン・ジャパンが超低温冷蔵庫の修復支援を決定。昨年9月から復旧工事が始まり、2月から、ついに一部稼働が再開されました。
「1年前の、震災直後の状況を思えば、"よく、ここまで来たなあ"という感じです。超低温冷蔵庫の復旧は、気仙沼の水産加工業にとって、復旧の"のろし"になります」。2012年2月8日に行われた超低温冷蔵庫のお披露目式で、気仙沼漁協の佐藤亮輔理事長は感慨深そうに語りました。
ワールド・ビジョン・ジャパンは引き続き、水産加工業の復旧・復興に取り組む被災地の方々の取り組みを、支援していきます。
自然災害発生直後の混乱した状況の中、最も弱い立場に置かれるのは子どもたちです。ワールド・ビジョン・ジャパンは、東日本大震災発生直後から、子どもたちに重点を置いた活動を、継続してきました。
7カ所でチャイルド・フレンドリー・スペースを開設
宮城県登米市と南三陸町で、計7カ所のチャイルド・フレンドリー・スペース(以下CFS)を開設し、のべ326人の子どもたちが参加しました。
CFSは、震災によって精神的に不安定になりがちな子どもたちが、安心して遊んだり、話したりできる場所のことです。
2011年3月31日に登米市の避難所で開設されたCFS「ぜんいんしゅうごう!」には、津波によって校舎が全壊してしまった南三陸町立戸倉小学校の子どもたちが参加しました。制限の多い避難所生活の中で、CFSでのひと時は、思い切り遊び、日常的な感覚を取り戻すための機会となりました。
当時の様子を振り返り、戸倉小学校の麻生川校長先生は、
「CFSがあったことによって、子どもたちは震災によって途絶えてしまった、親や先生以外の人々との"インフォーマルな関係"を持つことができました。
日常生活のなかで、聞いてほしいことや、頑張ったことを受け止めてくれる人たちがいたことで、戸倉小学校の子どもたちは、震災後不安定になった心の波を乗り越えることができました」と、語っています。
小・中・高校88校に学用品を支援
子どもたちが順調に新学期を迎え、学習を再開できるよう、宮城県と岩手県の小・中・高校88校の約4,000人の子どもたちに、学用品セットや副教材を支援。
また、親子便座を使用した仮設トイレや、プレハブ校舎、また隣接する登米市に仮移転することになった戸倉小学校の子どもたちのために、スクールバスの支援も行いました(2011年9月まで実施)。
おかず給食支援
津波によって給食センターが流失してしまった南三陸町の全小・中学校に対し、企業の協力を得ながら、2011年6月よりおかず給食を支援。
震災後入学し、それまでのパンと牛乳だけの給食しか知らなかった1年生の中には、
「給食はパンと牛乳だけだと思ってたけど、ご飯もおかずもあるんだ!」と驚きの声をあげる子どもたちもいました。
また、同町にある4つの保育所、幼稚園などにも、簡易給食支援を実施しました。
戸倉小学校でCFSを継続
2011年5月の学校再開以降も、戸倉小学校の校内にCFSを開設。授業後、スクールバスに乗って帰るまでの時間、子どもたちが安心して過ごせる場所を提供し、先生方と連携しながら、子どもたちの心の変化を見守ってきました。
保護者の方々からは、多くの感謝の言葉が寄せられています。
「仮設住宅の周りには、子どもたちが遊べる場所がありませんので、CFSがあってありがたいです」
「CFSがあるので、子どものことを心配することなく、安心して働けます」
「子どもたちは家に帰って来てからも、CFSで教えてもらった遊びを続けています。
CFSは、学校とは別の学びの場所になっているようです。ありがとうございます」
放課後児童クラブの運営
2011年10月から、南三陸町保健福祉課と(特非)キッズドアと連携し、南三陸町内で放課後児童クラブを運営。
近隣の小学校に通う1~3年生の子どもたち約20人が、授業が終わった後、保護者の方々が迎えに来るまでの間、宿題をしたり、友だちと一緒に遊んだりしながら、楽しく過ごしています。
また2012年4月には、同町内に新しく建設した児童館を支援する予定です。
給食センター再開支援
夏休み期間中、津波の被害を免れた旧給食センターの建物を整備。2学期以降は週に1回、ワールド・ビジョン・ジャパンの支援なしで、子どもたちに給食を届けられるようになりました。
「ワールド・ビジョンの支援のおかげで、何とか給食センターの役割を果たすことができました」と、給食センターの佐藤所長。
2012年4月の新学期からは、南三陸町内ですべての給食をまかなえるよう、給食センターの増築を支援しています(2012年3月末完成見込み)。
復興のプロセスに子どもたちの声を
南三陸町教育委員会、南三陸町子ども会育成会連絡協議会と連携して、2012年1月より"「子どもに笑顔を 地域に夢を」南三陸まちづくりプロジェクト"を開始。
同町ボランティア・サークル「ぶらんこ」に参加しているジュニア・リーダーと一緒に、南三陸町がより良く復興するためのプロセスに子どもたちが参加して話し合うワークショップを開催。3月(南三陸町)と6月(東京)に、意見を発表するためのイベントも開催予定です。
2011年3月11日に発生した東日本大震災から、間もなく1年を迎えます。この未曾有の大震災により、15,000人以上が亡くなり、30万人の方々が避難生活を余儀なくされています。
ワールド・ビジョン・ジャパンは、震災発生2日後にはスタッフを被災地に派遣。
震災発生後90日間を緊急期、7月以降を復興期と位置づけ、世界各地の災害支援を通じて培ってきた経験を最大限に活かし、子どもたちが健やかに成長できる環境の再生を目指して、下記の分野で支援活動を行ってきました。
2012年1月末までに、のべ141,054人の方々に支援を届けています。
【緊急期(2011年3月11日~6月30日)】
・避難所/仮設住宅への緊急物資支援
・子ども支援
・コミュニティ・キッチン支援
【復興期(2011年7月1日~)】
・子ども支援
・雇用促進・生計向上支援
・子どものための防災支援
・仮設住宅およびその周辺地域でのコミュニティ支援
・福島県外避難者への支援
各分野でどのような支援活動を行ってきたのか、3月11日に向けて連載してご紹介します。