(2023.12.07)
「私は中国の夫に言い続けました。『私には故郷に子どもが2人いるのに、子どもたちの面倒を見てくれる家族はいない。あなたが許可してくれなくても家に帰らないといけないの』頼み込んだり泣いて訴えたり、できる限りのことをしました」
タインさん(仮名)は、少しかすれた声で早口に語ります。この時、タインさんは自分の村の安全な場所で「女性グループ」のメンバーたちと一緒でしたが、それでも故郷に帰ってこられたのがまだ信じられない様子でした。 タインさんは、騙されて中国へ"妻"として売られましたが、幸運にも1年後に帰ってくることができたのです。
サローン・コミューンは、ディエンビエン省ムオンチャ郡の中でも特に貧困率が高く、75%の世帯が貧困層にあたります(2016年時点)。ラオスと中国の国境までほんの数時間の距離にあるため、より良い労働機会を求めて国境を越える人は少なくありません。
2018年半ば、子どもたちにより良い生活をさせたいと、タインさんは夫と一緒に中国に働きに行くことにしました。季節労働のために中国へ向かう大勢の人々についていき、夫婦ともに清掃作業でも建設現場の運搬作業でもなんでもするつもりでいました。諸々の出費を差し引いても、毎月2千万ドン(約11万円、故郷での畜産・農業収入の10倍以上)の収入が見込めるからです。
ワールド・ビジョン人身取引予防事業のホア・スタッフは話します。
「給料が(ベトナムでの仕事に比べて)あまりにも高いので、危険な化学物質の使用や暴力、残業・過労など、どんなに劣悪な労働環境も皆受け入れてしまうのです。私が見聞きした6人のこうした労働者のうち、5人が深刻な健康上の問題を抱えて帰国し、そのうち1人はその後すぐに亡くなっています」
タインさんの夫も同様で、中国で働いた1年の間に健康状態が悪化したため夫婦は帰国を余儀なくされ、その3カ月後に亡くなりました。
夫の死を嘆きながらも、タインさんは2019年にベトナムのラオカイにある国境地点から中国の小さな町に戻って働き始めました。この町で、タインさんは自分と同じムオンチャ郡のモン族の女性であるサングさんと友達になります。
ある日、タインさんとサングさん(仮名)は、別の同郷の友人トゥアさん(仮名)から誕生日パーティーに招待されました。パーティーでしばらく楽しく話した後、トゥアさんは2人をカラオケに誘いました。トゥアさんの友人というフェオさんと合流し皆でタクシーに乗って移動しましたが、車はカラオケではなく暗く人気のない道に入っていきます。
車が止まった途端、タインさんとサングさんは男性2人に捕まって別の車に乗せられ、反撃する隙もないまま深い森の中に連れ込まれてしまいました。
タインさんとサングさんと同様の被害は、ディエンビエン省の特に国境に近い地域では珍しい事例ではありません。
ムオンチャ郡警察の犯罪・経済・薬物取締チーム代表のホアン・ヴァン・ダンさんは次のように話します。
「2017年以降、ディエンビエン省だけで300人以上の行方不明者が報告されています。その大半が女性・女児で、人身取引の被害者であると考えられています。人身取引のブローカーは外部者よりもコミュニティの中にいることが多く、出稼ぎ者など、社会的な繋がりとその手段に限りがある状況を利用します。特に女性や少数民族の人々を狙い、コミュニティ内の会やソーシャルメディアを使って被害者に近づいてくるのです」
タインさんとサングさんは、連れ去られた日、小屋で眠れない夜を過ごしました。朝になるとサングさんは部屋の隅で背中を丸めて震えており、体調が悪いと訴えていました。
「何か食べさせてくれたら気分が良くなるかもしれない」と言うサングさんに、男たちは彼女たちがついてくれば食べ物を買って与えると提案します。結局体調が悪いサングさんを休ませてタインさんがついて行くことになりましたが、小屋に戻ってきた時にはサングさんは既に逃げた後でした。タインさんはまたひとり、取り残されてしまったのです。
この後のことは記憶が曖昧だとタインさんは言います。ブローカーたちがより高値を得ようと買い手を値踏みしている間、タインさんはブローカーたちの命令で複数の隠れ家を移動し続けました。反抗したり指示に背けば殺すと脅されていたため、この間は何も考えずただただ男たちの命令に従うようにしていました。
この状態が1カ月間続き、最終的には連れ去られた地点から1,800キロメートルも離れた地域の男性がタインさんを自分の妻として7万ウォン(約1万ドル)で買い取りました。
その後、中国人の夫とその母親とともに一日中農作業をし、それ以外は家から出ることが許されずに家事と夫の娘(9歳)の世話をする生活が始まりました。言葉が通じないため、"新しい家族"とはジェスチャーでしかコミュニケーションがとれず、タインさんは非常に孤独でした。
「少し経つと、近所にはほかにも妻として売られたベトナム人の女性たちがいることが分かりました。彼女たちは新しく来た私を慰めてくれましたが、『もうどうすることもできないから、ここの新しい家族を受け入れてお互い助け合おう』と言ったのです。でも私はベトナムに残してきた息子たちのことをずっと思っていました」
2019年時点で、中国本土には10万人の"ベトナム人妻"がいるとされていますが、法律上で婚姻関係が成立しているのはこのうち約半数と言われています。
中国では男女比の偏りが深刻で多くの男性が結婚紹介所を通して外国からの花嫁を探すという状況があり、結婚紹介所の多くが人身取引のブローカーと繋がりがあるとされています。こうした結婚の多くは貧困度の高い農村部で行われており、連れてこられる花嫁たちは身分証明書などの書類を持っていません。そのため夫以外に頼れる人がいない状況に陥り、家庭でひどい扱いを受けたとしても逃げる先がない脆弱な立場に立たされることになるのです。
ある日、タインさんは夫と義母が外出している隙に家から逃げ出し、タクシーを捕まえました。拙い中国語で運転手に近くの警察署に行くよう頼みましたが、タクシーは近所を少し走った後に家に戻ってしまいました。なんと、この地域ではタインさんのように逃げ出す女性が多く、タクシーの運転手は人身取引のブローカーと問題を起こしたくないがためにこうして逃走を阻止したというのです。タインさんは、この時希望が全て打ち砕かれた気がしたと言います。
タインさんは逃げようとした罰として携帯電話を取り上げられ、外出する資格はないと言われて鍵付きの部屋に閉じ込められてしまいました。すでに自由が少なかったタインさんは、ついに完全に外界から隔離されました。
「あなた(夫)が許可しなくても関係ない。息子たちのために家に帰らないといけないの。今は私をここに閉じ込めておけるかもしれないけど、いつか絶対ここから逃げ出してみせる」
タインさんは抗議のために食事にも手を付けずこう訴え続けました。数週間後、ついに夫が折れてタインさんのために警察に連絡をしました。
2019年11月にタインさんはベトナムに帰国しました。中国に行ってから約1年が経っていました。
「ベトナムの土を踏んだ瞬間、恐怖や不安が消えてなくなり、ようやく息ができるようになったと感じました」とタインさんは言います。タインさんはこの後サングさんと再会を果たしました。ふたりはトゥアさんとフェオさんのことを通報し、裁判の際には裁判所で証言もしました。
タインさんの話はここでハッピーエンドを迎えたかのように見えますが、帰還者の苦労はここから始まります。
人身取引の女性サバイバーの多くは、自由を奪われている間に性的虐待を受けたり違法な仕事を強いられたりしています。本人の意思に反して行われたもので責任を問われることはなくても、伝統を重んじるコミュニティや男性優位の傾向がある地域・民族ではこうした経験が差別や偏見を生んでしまうのです。
タインさんの場合、彼女の愛らしい外見と賢さが災いしました。「中国にいる間は"夜の仕事"をしていたに違いない」と故郷の人々が噂するようになり、元の生活に戻ることが難しくなりました。同居していた義母はタインさんに家から出ていくように言いつけ、さらに息子たちを連れて行くことを拒否しました。タインさんはこの時、この先どうすればいいのか全く分からなくなってしまったと言います。
この頃、ワールド・ビジョンがタインさんについて連絡を受けました。事情を把握次第すぐに支援事業に彼女を登録し、息子たちにすぐに会いに行けるよう義父母家から近い土地を確保して小さな家を建てるための資材を支援しました。でも、ゼロから生活を立て直す必要があったタインさんは仕事が必要になり、また息子たちを義父母に預けてハイフォン省の裁縫工場に出稼ぎに行くことになりました。
前述のホア・スタッフはこう話します。
「ムオンチャ郡は冬の寒さが厳しく、農作業に使える土地も限られているので農業で十分な生計を得るのは難しいのが現状です。そのため、タインさんのような帰還者の多くは地域を離れて仕事をしなければ生計が立ちません。ワールド・ビジョンはこの厳しい現状を受け止めた上で可能な限りの支援を継続して行います。例えば、無理に地域に滞在させるよりも、安全な就職先を紹介した上で、出稼ぎ期間中はその世帯の子どもたちをワールド・ビジョンの活動を通して定期的にモニタリングをするなどしています」
この通り、タインさんが出稼ぎで不在の間は彼女の息子であるチュングくん(7歳)とオアンくん(4歳)を地域開発プログラムの保健ワーカーによるモニタリングの対象に登録し、彼らの生活状況を確認してタインさんに報告するようにしました。この活動で提供している保健栄養についてのカウンセリングを通して、成長が遅れ気味だったチュングくんとオアンくんは年齢に対して適切な成長状態に達しました。これまで季節ごとに体調を崩して数日入院が必要になるほど身体が弱かったこの兄弟は、支援の結果病気をしなくなりました。
新型コロナウイルスの感染拡大防止策が始まったことで、タインさんを含む出稼ぎ者は皆故郷に帰ることを強いられました。
この時、ワールド・ビジョンは最も脆弱な世帯に必要な資源・物資を支援し、持続可能な生計手段を確立させるための「貧困卒業(Ultra Poor Graduation)プログラム」にタインさんを登録しました。
この活動を通して繁殖用のヤギを2頭供与されたタインさんは、家畜の飼育についてのトレーニングを受け、支援された家畜小屋用の資材を使ってヤギの飼育スペースを自分で作り上げました。
ワールド・ビジョンスタッフの支えのもと、タインさんとサングさんは徐々に政府助成金事業*の定期会合やイベントに気軽に参加できるようになりました。ふたりは自分の経験を他の女性・女児たちに伝え、皆が同じ目に合わないように、そしてお互いをブローカーたちの誘惑から守れるようにと願っています。
「誰もが気が付かないうちに人身取引の被害者になりうるのです。私の経験が他の女性たちを助けることにつながると思うと、自分が尊敬されて大切にされているように感じます。この話を広めることで、コミュニティ全体が私たちの立場に対して理解を深めてくれるようになるとも思っています」
*政府助成金事業:日本政府(外務省)やJICA(国際協力機構)、国連機関等による助成金等の資金を活用して行う支援事業。
「お母さん、早く!」男の子たちが、ヤギ小屋に向かって走りながらタインさんに呼びかけます。興奮した様子で「このヤギはもうすぐ赤ちゃんを産むんだよ」と話す息子を見ながら、タインさんは少し複雑な表情をします。
新型コロナウイルス感染症が落ち着き、工場が再開し始めているためタインさんはもうすぐ遠くの場所にまた出稼ぎに行くことにしましたが、まだそのことを息子たちに伝えられていません。
「ここを離れるのは一時的なことです。だって私の夢はここで子どもたちと一緒に暮らせるようになることですから」とタインさんはワールド・ビジョンのスタッフに話してくれました。
「これから何が起きるか分からないという思いはありますが、少なくとも今、この村には私と息子たちを支えてくれる家族とワールド・ビジョンの事業を通して得た友人がいます」
ディエンビエン省は、ベトナムおよびメコン川流域の中で人身取引のホットスポットとされる地域のひとつです。紹介した政府助成金事業や、ワールド・ビジョンのグローバルキャンペーンとして取り組んだ「EVAC」、また長期間実施する地域開発プログラムを通して、ワールド・ビジョン・ベトナムは地方政府・コミュニティの人々とともにこの課題に取り組んでいます。コミュニティの人々(特にハイリスクとされる人やサバイバー/帰還者)に寄り添い、啓発や知識向上、行動変容に向けた取り組み、生計手段の安定・改善のための知識や資材の支援を通して、人身取引の根本課題への取り組みに尽力しています。